ドルオタの備忘録

KPOPを手賀沼より広く東シナ海より深く愛しています。

韩国的春天

 

韓国の春

2019年の旧正月に私は韓国に来た。2018年の初夏に初めて渡航し、回数では4回目、長期の滞在は初めてだった。2019年は大気汚染が深刻な年だった。翌年2020年は外出控えや産業の停止のおかげで空気がとてもきれいだった。今年の春は、おととしほどではないけれど、空気がすこし汚いようだ。残念ながら、私は韓国でソウル以外の地域に旅行をしたことが一度もない。故郷でも首都圏に住んでいる私の春は、毎年無難に過ぎる。私は大自然より都会が好きだ。そもそも季節とは人間が勝手に線引きをしたものだと思う。だから、季節ごとに異なる土地に旅行しなくても春を感じられる。わたしは定点観測が好きである。わざわざ山に桜を見に行かなくても、町の街路樹や人々の表情から季節を感じてもいい。おととしの春もマスクをつけた人がおおかった。去年の春は、町が死んだようだった。今年の春は、案外、おととしと変わらない。人々はマスクを着けているが、ワクチン接種もはじまり、町の雰囲気はとてもよくなった。わたしは昨年の澄んだ青空が恋しくもあるが、来年の春には空気が汚くてもいいので、人々の明るい表情を見たいと思う。

 

我在2019年的春节来韩国了。第一次到韩国来的是2018年初夏。已经总共3次来韩国,但长期逗留目的是第一次了。2019年是大气污染严重的一年的。去年,2020年就是空气好好看的一年。这是因为病毒人们不出去以及产业活动停止的福。今年的春天,好像空气稍微地脏。我从来没在首尔以外地区旅行的。我在故乡,也住在首都圏。日本的春天很忙。从韩国晚得一个月,新的年度开始。人们没有空闲,不可能享受春天的美丽。在韩国,春天是适合新的环境的时期。我比大自然喜欢城市。我以为季节就是被人创造的概念。因此不需要每季节去不熟悉的地方,也被感到春天。我喜欢定点观测。我喜欢去有许多人的地方一个人玩。前年的春天,附上口罩的人多了。去年的春天,好像城市死气沉沉了。今年的春天,人们依然正穿上口罩。但是,接种疫苗开始了。市镇的气氛变得很好了。我怀念去年的那清澄的天空。但是,在明年的春天,我想看人们快乐地玩的样子。

 

한국의 봄 - 2019년 봄, 나는 한국에 왔다. 처음 한국을 방문한 것은 2018년의 초여름이었고, 합치면 네 번째 한국이었는데, 장기체류는 처음이었다. 2019년 그 해는 미세먼지가 심한 해였던 것 같다. 이듬 해, 2020년은 역병 때문에 사람들의 경제활동이 지체돼서 오히려 맑은 하늘을 감상할 수 있었다. 올해 봄은, 재작년만큼은 아니어도 대기오염이 조금 있는 모양이다. 나는 한국에서, 서울 이외 도시로 여행을 가본 적이 없다. 고향에서도 수도권에 사는 나한테 봄이란 매년 똑같이 지나가는 나날에 불과하다. 일본의 봄은 꽤 바쁘다. 한국보다 한 달 늦게 연도가 바뀌는지라, 봄의 아름다운 자연을 즐길 여유로움이 있을 수 없다.한국에서의 봄은 그와 다르게 새로운 환경에 막 적응하는 무렵에 오는 것 같다. 나는 대자연보다 도시를 선호한다. 내가 생각하기에, 계절이란 인간이 연속한 나날에 맘대로 선을 그은 것이다. 그러니 억지로 계절마다 낯선 땅으로 봄구경을 가지 않다가도 봄을 느낄 수 있을 것이다. 나는 정점 관촬을 좋아한다. 내 작은 여행은 사람이 몰리는 핫한 동네로 혼자 가는 것이다.  재작년 봄은 마스크를 낀 사람이 꽤 있었다. 반면 작년 봄의 서울은 도시가 죽은 것처럼 조용했다. 올해 봄도 모두가 마스크를 쓰고 있기는 하지만 백신접촉이 시작한 덕분인지 사람들 얼굴에 생기가 돌았다. 나는 작년 그 푸른 하늘도 버릴 수 없으나, 그래도 내년 봄에는 더욱 더 밝은 표정의 사람들을 거리에서 볼 수 있으면 좋겠다. 

 

課題です。どうせ翻訳機つかうからと原稿を日本語とか韓国語とか行ったり来たりしながら書いてみたので、原本を記念に載せてみました。中国語版は意味が通ってるかも知りません。知りません、わたし中国語できないので。知りません。

20210216日誌

2021年2月16日(火) 雪(小雨まじり)

 

 10時30分起床。9時半に起きて健康確認はすましておいたが、保健所行くのがだるくて二度寝したのだ。

ーーー(昨日は韓国に再入国した日であるのだが、実家の位置などぼやかして書くのがだるいのでここには記さないこととする。)

昨晩空港で買ったおにぎり(ツナ)をほおばりながら保健所に電話を架けたが繋がらず。先にインターナショナルタクシーを予約した。1時間前までに予約とのことなので仕方なく12時まで身支度の時間をもった。11時55分にタクシーが家に着いたので外に飛び出したら雪が降っていてびっくりして傘を取りに戻った。よく考えたら傘を使うシチュエーションなど無いのだが、つい習慣で。東大門区の保健所(及び区庁舎)は龍頭というところにあって、外大(里門洞)から歩くと回基、清涼里を経由して2キロ近い。自転車を使えば軽く40分ほどでつく距離ではあるが、昨晩遅くに帰宅して疲労がたまっている身で無理をするのはよくないので3千円のタクシーに甘んじてみた。

 保健所では一列並びの検査列に人が絶えない感じであった。当然検査は有料だと思っていたが、タダだった。。。 なぜ受けに来たのか(濃厚接触者/海外入国者)や個人情報をシートに記入した後係員に渡して、そこで隔離キットを渡されて隔離に対する誓約書を書く以外は一般の検査列と同じだった。係員のチェック用の名簿をちらっと見ると、外国人の名前がちらほら見受けられた。隔離キットの補充に来た係員のかたも「うわあ、(キットを)受け取ったひとが随分といるのね」と言っていたので、多数の外国人が韓国に入国しているようだ。検査は手際よく行われ、聞いていた通りにめちゃくちゃハチャメチャに痛かったが、インフルエンザの検査と同じだった。インフルエンザはすでに体調がどん底の状態であれをやるので、それに比べたらどうってことない。一瞬突かれるだけだし。しかし左鼻がしばらく痺れるし、3時間くらい左鼻の嗅覚がおかしくなったので、気持ちが悪かった。

 帰宅して隔離キットを開封してみた。説明書、体温計、消毒ジェル、マスク(蛇腹の)、それと医療廃棄物の袋だけなので割と質素だが、クリスマスプレゼントを開封するときのわくわくは楽しめた。説明書によると14日間の隔離が終わるときに受けた検査の結果が陰性なら、隔離中にたまったゴミは通常通り廃棄してよく、その時に陽性判定を受けた場合にのみ医療用廃棄物の袋を使用するようだ。もし陽性なら、資源ごみから生ごみまで全部をバイオハザード袋にいれて、保健所に連絡して回収してもらうらしい。まだ今日の検査結果が出ていないので恐ろしいばかりである。もらったばかりの体温計で体温測定。36.0度。

 15時ごろ、「配達の民族」のBマートでパックの米、焼き魚3種、ソルロンタンパック、キムチを注文し、待っている間に床掃除をした。通常の食品通販と違い、飲食店の代わりに専用のマートで配達員が商品をピックアップして運んでくるシステムなので、40分で配達された。気持ち割高なので、少し買っただけで4000円もしたが、隔離中の身には超絶うれぴー。デメリットとしてはあまりバリエーションがないのと、おそらく隔離用に用意されたセットは売り切れているものが多いのであくまでも通常の何日かかかる通販と併用するのがよかろう。夕食は安城湯麺にした、もはや鍋を洗うのも苦痛なのでやかんでお湯を沸かしてふやかして食べたが、お湯を入れすぎて味がしなかった。蕎麦湯並みの薄味だった。そのあと寝落ち。無性に眠かった。23時むっくりと起き、先ほどのキムチをむさぼり、入浴。タスクが一つも片付いていないので紅茶を沸かし、今に至る。これから眠くなるまで中国語、日本語学のタスクをこなし、10時に再び健康観察を送信する予定だ。

20210213日誌

2021年2月13日(土) 晴れ

 午前8時22分起床。親チャンスをフルで使う日。ご両親様のみなさまのご厚意によって生存しております。お母さまのご厚意でくせ毛をさらっさらに伸ばしていただき、乗り換えを容易にするために他路線が走っている隣町の鉄道駅までお父さまに車で送っていたいた。ありがとうございます。この路線は日ごろメインで利用していたわけではないので思い出など存在しないが、久しぶりの鉄道ということで心が躍ってしまったことを隠すつもりはない。ぜったいに肺炎に罹りたくないので人が乗車してくるたびに心の中で悪態をついていたが、ターミナル駅で半分くらいの乗客が下車したのですっきりした。友人と待ち合わせをするとき、私はもちろんのこと、友人までもが飯田橋駅に出口が複数ある事をすっかり忘れていた。携帯電話がなかったら各々の自己判断にたよって、会えるまで駅をさまよい続けるのだろうか。そういえば小学生の時分にあるマンションでまちあわせをしたのに1時間ほど会えなくて結局20分くらいしか遊べなかったことがあったのを思い出した。暗黙の了解が成立するような待ち合わせ場所、たとえば渋谷のハチ公像、が存在していたら面倒なことはなかっただろうに。午前11時15分、飯田橋B3出口付近のうどん屋で写真受けのよさそうなうどんを食した。見た目に反して常識的なお味だったが値段ははるなぁと思われた。正午にうどん屋を出発した。九段下の住宅街を通り抜け、九段中等教育学校靖国神社を横目にみつつ、国立東京近代美術館に向かった。靖国神社の鳥居が巨大すぎてなんだこれという感想。美術館では学生証を提示して600円で企画展を見ることができた。眠り展とは「眠る」という動詞に連関のある芸術作品を集めた展覧会だった。ほとんどはルーベンスゴヤの作品をはじめとする眠っている人を描いた絵だったが、中でも面白かったのが、うず高く積まれた書類を保存している事務所の写真ばかりを撮影したものだ。書類は次いつ人に参照されるかわからないから、「ねむっている」ということだ。さて常設展までしっかり見るのはしんどかったので作品の姿だけ記憶にのこし、約1時間半で美術館をあとにした。午後2時35分、神保町のコーヒースタンドを訪れたが座席がなく、あまりにも「密」だったので、友人がインターネットで見つけたお茶の専門店にむかった。御茶ノ水駅の手前なのでそう遠くはないが、すでにたくさん歩いた私たちには非常に遠い道のりだった。幸いこの店は4時半にクローズということで、私たちの到着した午後3時10分はこれ以上新しいお客は少ない時間帯であり、5分ほど並んで入店できた。1899御茶ノ水というお茶専門店なのだが、アフタヌーンティーが看板のようだ。私たちはすこしおなかがすいてはいたものの、洋菓子のプレートを平らげるほどではなかったので、お茶漬けと茶そばを注文した。せっかくならお茶は和菓子と一緒に食べたかったのだが、見当たらなかったのだ。しかし追加で頼んだほうじ茶にお茶うけとしてミニ羊羹が付属していた。感想としては、雰囲気はとても良かったが味は無難であった。アフタヌーンティープレートは絶品かもしれないが、比較的安価なので、さて食べてみないことにはわからない。クローズに従って再び神保町にもどり、友人に付き合ってもらって中国書の専門書店に寄らせてもらった。とくに販売されている本を読めるわけではないが、ゲン担ぎというのか、いつかその書店を「ちゃんと」利用したかったので単語帳を購入した。友人がまたも空腹を訴えたので駅前のフランチャイズに入店してお茶をしながらだべった。午後6時になったので帰宅。思っていたよりは自宅からアクセスが良かった。電車賃が高くつくのは仕方がないが。地元の駅で薬局をのぞくなどして貴重な15分を浪費してから駅をでた。帰宅したら両親もお買い物から帰ってきたばかりだったようだ。あらかじめ伝えておいた時間を過ぎてしまったから電話かかってくるかもしれないとそれなりに急ぎ足で帰ったのに、『どうせ(わたしが)寄り道しているだろう』と思っていたそうだ。これでは本当に何か巻き込まれてしまったときにも親が全く心配しないだろう。夕食はスーパーのお寿司だった。おいしい。スーパーで十分である。睡眠不足なので食後はだらだらと、うつらうつらと過ごしていた。紅茶を入れてもらったけれど、よく冷めるまで居眠りしていたくらい。さて寝るか、もろもろの準備を済ませた11時8分ごろ、なかなか大きな地震があったため眠気も醒めてしまい、また災害情報をテレビで見る両親のいつまでも起きているのに便乗して、ちゃっかり起きていた。それからは地震の情報や被害の模様をTwitterでよんだりニュースを眺めたりして時を湯水のように使った。宮城県福島県が揺れの中心なのだが、津波の心配はないようだ。だからか、Twitter上では被害をおもしろおかしく消化している人が多く見受けられた。土砂崩れや、停電など関東全域でなんらかの影響を受けている地域がほとんどなので、騒いでいる人々もけっして軽い気持ちではないのじゃないかな、と考えてみる。前回の大地震の記憶がよみがえるくらいの規模だったから、近いうちにまたくるかもしれない、とだれもが不安に思っているだろう。まして今は感染症の流行によって避難所に集まるような事態が起きてしまえば悪夢そのものだから、揺れがおさまってすぐにTwitterに群がった人々は安心したかったのだろう、というのが自説だ。わたし自身も、今回の揺れに対する自分なりの感想をすぐにアップロードしたから、まぁそうなんだろうな、と。2021年2月14日午前2時44分。

20210212日誌

2021年2月12日(金) 曇り、最高気温12度

 12時半起床。Google Duoで病院とつなぎ、指示に従って検体を採取しました。唾液が思うように出ず、パソコンで梅干しの画像など検索してみましたが、本物が目の前にないことを自覚してしまうと効果がございませんでした。初めて使うテレビ電話なのにテストなどしなかったからか、相手のカメラからは監視カメラのような白黒の映像で写っていたことがあとになってわかりました。女性の看護師さんがどうりで画面から目をそらしていらっしゃったわけです。13時半ごろ、父と一緒にオムライスをいただきました。昨晩に同窓のNさんからお誘いをいただいたので、久しぶりに友人に会うことに意識が持っていかれ、15時頃に父に言われるまで、さきほど採った検体を郵便局に持ち込むのをすっかり忘れておりました。あわてて身支度をすませ、15時40分ころにようやく街に出ました。しばらく家にこもっていたので、郵便局の帰りに遠回りをして近隣の建物などをみてまわりましたが、特別かわりはありませんでした。帰宅したら母が家にいました。母がインターネットで面白いなぞなぞを見つけたといい、いくつか解いて遊んでみましたが、わたしはどうも素質が欠けているようです。最近は『北京好日』という林語堂の小説を読んでいるのですがいつもすぐに寝てしまうので進捗がありません。実家にいる間に本を読んでおこうと何冊か借りてきたのですが思うように読書が進まず、新学期までに消化できないような気がします。とにかく、暖房と小説のおかげですやすやと寝てしまい、現在時刻が子の刻ですがなお目がさえております。夕食は白ワインの酒蒸しとのことでした。「酒蒸し」という技法を西洋ではどう呼ぶのでしょうか?帆立も烏賊も、本邦でとれる食材ですから、もしかしたらフュージョン料理なのかもしれません。そのあと、父にもさきほどのなぞなぞを訊いてみましたが、それほど即答というわけにはいきませんでした。母が会話の中に巧みにヒントとなる伏線を忍ばせていることに一同驚きました。家族と談笑するのはなかなか楽しいものです。

 

...

내일 죽을지, 모레 죽을지, 모르다는 생각이 문득 떠올랐죠. 

마침 어제 써놓왔던 일지가 있어서 오늘것과 같이해서 올립니다.

기사 개수가 불어나는 일은 제대한 피하고 싶으니, 5개정도 글이 모이면 하나로 엮어서 다시 올리는 방식으로 해볼까 생각합니다. 

뭐, 인터넷에 기록하면 기록매체가 파손될 가능성을 논의하지 않아도 되겠어요. 개인정보를 잘 가리는 연습이라 생각해야겠죠?

つぶやき#1

2020-07-17

6월말에 종강하고 지금은 1학년의 첫 방학을 지내고 있어요.

몇 년전까지만 해도 상상도 할 수 없던 외국에서의 생활.

아니면 술 먹을 때마다 내가 컸다는 것을 실감하고, 또  왠지 씁쓸한 스무살.

게다가 역병까지 돌아서 제대로 된 사회생활도 못하고, 아주 참신한 일상을 보내고 있어요.  

하도 사건이 없어서 일기장은 안 쓴지 오래 되었고. 오늘, 아니 어제도 엊그제도 안 썼어요. 

일기장이 쉬울 줄 알았는데, 그렇지는 못하더라고요.

하루에 상상의 날개를 딱 한번 펼치는 것도 아니고, 느낀 것 마음에 담아두고 싶은 것들이 얼마나 많은데 밤에 팬 뚜껑을 열면 싹 다 어디로 가버리는 걸까요? 

일기는 일본어로 쓰기로 정했는데 어찌나 창작에 재능이 없는지, 글을 손으로 직접 써서 수정이 안돼서 그런지, 깊이 없고 나중에 다시 읽어 봐도 하나고 재미가 없는 글이 줄줄.

그냥 건조한 글은 나름 매력이 있는데, 제 글은 내용이 없으면서 느끼해요. 

이렇게 싫증은 느끼면서도 글 쓰기가 은근히 흥미롭다고, 최근에야 알게 되었어요. 물론 지금도 제 의지와 상광없이 글 쓰는 일은 굉장히 싫고, 또 별로 좋은 글은 쓰지 못하지요. 

말투와 문채부터 농담까지, 결과물 곳곳에 각자각색 특징이 나타난다는 것을 알아서 일까요? 

인생 20년차에 이르러서야 언어에 처음으로 신경을 써준 것 같아요. 

지금까지 소홀히 다루고 중요성을 무시해서 미안하다는 생각마저 하게 되네요.

그리고 이런 닭살 돋는 글을 저는 한국어로만 지어낼 수 있다는 점, 이것 또한 나중에 다른 언어로 어떤 느끼한 글을 쓰게 될지 아주 기대가 돼요.

SEVENTEEN - Together(같이 가요) [歌詞/和訳] 日本語訳 #세븐틴 #SEVENTEEN

SEVENTEEN - Together

 

歌詞↓

 

 

 

오랜만에 만나는 친구들은 줄어들고

久しぶりに会う友人らは減って

하고픈 얘기들은 늘어나고

話したいことは積もり積もって

각자의 고민을 꺼내고서

各々悩みをとりだして

 

나이를 하나둘씩 세어 가는 우리들은

歳を重ねていく僕らは

나를 꺼내어 보는 시간의 벽에 부딪쳐

自我に向き合う時間の壁にぶつかる

자나 깨나 용기가 넘쳤던 우린

寝ても覚めても勇気で満ち足りていた僕らは

 

눈앞이 어두워 너무도 어두워

目の前が真っ暗だ、とても暗い

꺼내 볼래 마음의 나침반을 Yeh

取り出してみよう、心のコンパスを

 

흔들리는 나침반이 답답해도

揺れるコンパスがもどかしくても

우리 함께 라면

一緒なら

다 알지 못해도 다 알 수 있어요

すべてを知ることはできなくても、すべてを知れるでしょう

 

내 뜻대로 안 되는 하루하루가

思い通りにいかない一日、一日が

안개처럼 흐릿하지만

霧のように曇っているけれど

수많은 길이 내 앞에 있어

たくさんの道が僕の目の前にある

 

세상이 반대로 돌아가더라도

世界が反対に回るとしても

우린 절대 길을 잃지 않고

僕らはけっして道を失わず

똑바로 걸어갈 거예요

まっすぐ歩いていくでしょう

 

같이 가요 

一緒に行こう

Oh

 

똑같은 오전과 똑같은 노을 지는 하루가

おんなじ午前と、おんなじ夕日が沈む一日が

예쁘지만 쳇바퀴를 도는 기분이 들어

美しいけれど、同じところをぐるぐる回っているような気がする

 

보기 좋은 청춘이란

ほほえましい青春という

이름을 알기에 

名前を知っているから

앞으로 더 걸어가기 좋기에

これから踏み出していくのが楽しいから

 

아무렴 뭔들 못해라는 

できないことはないだろうという

생각을 또 해보지만

考えをまたしてみるけど

그게 그렇게 쉽지 않아서

そんなに簡単なことではなくて

 

눈앞이 어두워 너무도 어두워

目の前が真っ暗だ、とても暗い

꺼내 볼래 마음의 나침반을 Yeh

取り出してみよう、心のコンパスを

 

흔들리는 나침반이 답답해도

揺れるコンパスがもどかしくても

우리 함께 라면

一緒なら

다 알지 못해도 다 알 수 있어요

すべてを知ることはできなくても、すべてを知れるでしょう

 

내 뜻대로 안 되는 하루하루가

思い通りにいかない一日、一日が

안개처럼 흐릿하지만

霧のように曇っているけれど

수많은 길이 내 앞에 있어

たくさんの道が僕の目の前にある

 

세상이 반대로 돌아가더라도

世界が反対に回るとしても

우린 절대 길을 잃지 않고

僕らはけっして道を失わず

똑바로 걸어갈 거예요

まっすぐ歩いていくでしょう

 

같이 가요 Oh

一緒に行こう

 

지나치는 이름 모를

過ぎてゆく名前も知らない

사람들처럼 의미없게

人々のように意味もなく

지금우리가 잊혀진다면

今、僕たちが忘れられていくのは

쓸쓸할 것 같아

悲しいな

 

매일 속에 그 어느 날

毎日の中の、とある一日

숨차게 지나가는

息苦しく過ぎていく

내일의 그 어느 날

明日の、とある日

세상이 반대로 돌아갈지라도

世界が反対に回っていくとしても

 

내 뜻대로 안 되는 하루하루가

思い通りにいかない一日、一日が

안개처럼 흐릿하지만

霧のように曇っているけれど

수많은 길이 내 앞에 있어

たくさんの道が僕の目の前にある

 

세상이 반대로 돌아가더라도

世界が反対に回るとしても

우린 절대 길을 잃지 않고

僕らはけっして道を失わず

똑바로 걸어갈 거예요

まっすぐ歩いていくでしょう

 

같이 가요 

一緒に行こう

Oh

 

 


SEVENTEEN (세븐틴) 'Left & Right' Official MV

 

※素人翻訳注意

 

 

 

―――不必要なひとこと

2020年受難の一年。上半期ベストの一曲です(-.-)

歌詞がひどく抽象的なのと、辞書に出てこない(?)文法に辟易してアップに時間かかってしまいました(笑)

今日はウォヌ君のお誕生日ですね~

カラットの皆さんも、メンバーの皆さんも、健康に過ごせますように。

いつかまた、セブチの公演を見に行ける日を楽しみにして生きたいです。

 

ぼら。

5か月間にわたる韓国短期語学留学のまとめ

お久しぶりでございます。

 

5か月前、授業初日の記事が非常にくすぐったいです。

今月で今回の語学研修は一旦終わらせることにしたので、5か月の振り返りと反省をまとめたいと思います。

 

 

Feb:Easy Korean 5A

Mar : 同上

Apr : 연세한국어 6-1 およびTOPIK対策クラス(約週3回)

May : 同上

Jun : Easy Korean 4後半

 

という内容で受講しました。

受講の順番がぐちゃぐちゃになってしまったことは事実ですが、どのレベルもとても充実していました。偶然5か月間ずっと同じ先生だったのですが、とてもわかりやすい先生でした。

 

まず反省点は、たくさん休んでしまったことです。

もちろん日本での生活リズムが乱れていたのでそう簡単に戻るはずがないとも思っていましたが、憂鬱で休む日がしょっちゅうありました。

ホームシックに似た憂鬱にもなりましたが、実家に帰ることを考えることもストレスなのでやり場のないストレスを解消するのが一番大変だったかもしれません。どのみち、地球上どこにいても憂鬱なんだと、5月以降は開きなおれました。

 

もう一点反省点があるとすれば、やはりひと月ごとの構成だと人付き合いはできないということですかね。少しは知らない人とのしゃべり方もわかったような、わからなかったような。ここでもう一度友人とはなにかと考えてみましたが、確実な答えはみつかりませんでした。ここではもちろん同い年のひとはいませんでしたし、多くがかなり年上の生徒さんでした。普段周囲にいない世代の方々とたくさんお話する機会を持てたことは貴重な経験でした。

仮に同年代の生徒がいたとしても必ず仲良くなるわけではありませんし、特定の顔見知りができることに寂しさと不安を感じてしまう私の性格としてはむしろぴったり合っている環境だったかもしれません。

 

 

4月、5月の延世大のテキストでは政治や社会など、時事ネタで学習しました。特に関心があるわけでもなかったのですが、意外にも意見が口からするする出てきたので先生や他の生徒さんには、私が政治に関心を持っていると思われました(笑)

政治に関心を持っている方なのでしょうか?よくわかりませんが。

 

 

本当は長く書こうと思っていたのですが、いざ書き始めると頭が真っ白になるタイプなので終わりです。

実は今は帰国して2ヶ月経った8月です。なぜ今これを公開しようと思ったのか、それは帰国して一段落ついたからです(単純な理由)

帰国前にこの文章を書いていた時は、割と疲れていて嫌なことしか思い出せなかったんですよね。今考えると大したことない、人生で乗り越えるべきホームシックだったんだと思います(笑い)

これから韓国でも、ほかの外国でも、なんなら日本の他の地方でも、新しい土地で生活を始める方には日記をお勧めします。ブログ毎日かくのもいいと思います。

私の場合最初は留学生ブログ書くぞ!という決心のような何かがあったのですが、私生活を文にするのって割と恥ずかしいし、防犯上気になるのもあって日記にしました。長く書く日もあるし、書かない日もありました。基本的には起床時間とごはん、間食とカフェで頼んだメニュー、使った金の金額を書いていました。日記というか生活日誌…

それでも書いておくのと書かないのは後で出てくる記憶の量が違うので…

留学中は何気ない日常ですけど、日記も無くて写真もない日の記憶なんてないんですよね。

それに気付かされた5ヶ月でした。

 

以上。